#0 歓迎の言
「遍く理性の拒絶は、胃の腑の悦が拒絶する。」
【歓迎の言】
その扉を押し開くと、歓待のベルが鳴る。
「やあ、いらっしゃい。座席ならいくらでも空いているからね、好きなところで待っていてくれ。」
人好きのしそうな笑みを浮かべた青年が、明るくそう言ってのけた。言われるままに、目についた……窓際の小さな席につく。すると、瞬く間に注文を取られ、はっとした時には、かれは機嫌よさそうな足取りで厨房へ向かっていた。
ただ偶然入っただけなのに、とても自然な流れで珈琲を頼んでしまった己に気が付いたのは、客席にいてもわかる、香ばしい例の匂いが、より強く鼻腔を擽りだしてからであった。
間もなくして、その匂いは温度を知覚させるように、足音を引き連れて、こちらへ近寄ってくる。
「……なるほど。道理で今日はやたら閑古鳥が鳴くわけだ。」
注文の品を持ってきたのは先程の青年とは異なる人物である。
仕事の繊細さに反して、かれは躊躇のひとつもなく、こちらの顔を一瞥してから、そのようなことを言い放つ。腹が立つというよりは、訝しい気持ちが勝った。青年はそれすらも見通しているのか、表情を変えずに先を繋いだ。
「ほら、だってきみ、見ない顔だから。」
……見ない顔だからどうした、と問う。
「春を探しに来たんだろう。もしくはこの街の冬をぶち壊しに来たんだ。もしかしたら、季節を取り戻そうってんだろう。謎を解き明かしてくれようとするんだ、きみも。」
指摘されて、思わず黙り込む。図星だった。
「あ、観光なら日帰りがいいよ。なんにもなくて、小さい街だし、泊まるとしばらく帰れなくなるからね。ここいらのかみさまは偏屈で、どうやら排他的なんだ。長く居座る他所者にはいやがらせをするのさ。」
今なら引き返せる。その言葉に含まれた暗示を受けて、思わず決意が揺らぎそうで、瞬きすらも煩わしくなって、少し目を瞑った。
それから十秒、意を決して、自分が前者であると答える。重そうな瞼に伏目がちな瞳が、一瞬、嬉しげに揺れたようにも見えた。
「遠路遥々、ようこそお越しくださいました。ならば当店自慢のショートケーキ、ひと切れ僕が融通してあげよう。」
深く頭を下げて挨拶し去っていく、出迎えた青年と薄く重なる、上機嫌な背中を見送った。
出された珈琲に口をつければ、芳醇な味わいが口の中を占めて、たちまち緊張は解け、不安を拭い去ってくれる。厨房から聞こえる会話の軽快なリズムも、店内の音楽とちょうどいい具合になって、自然と気分が上向いてきた。
ふと店内を見渡せば、壁一面の本たちも、食器も、照明も、とにかく、この空間の全部が、自分を温かく包み、迎え入れてくれたように感じた。
居場所を、見つけたと、思ってしまった。
何ということはない──美しい世界じゃあないか。